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アメリカの基本情報 歴史
- 2010-02-20 (土)
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アメリカの基本情報
United States of America。略称はU.S.またはUSA。北極圏に属するアラスカから常夏のハワイまで、日本の25倍の国土面積を有し293,027,571人(2004年現在)が暮らす広大な国です。50の州からなり、各州ごとに独立した行政を行っています。政治的にも文化的にもアメリカの影響力は大きく、先端技術や学問、音楽や映画、衣食住などあらゆるジャンルで多様な広がりを持っています。世界一の都会ニューヨークもあれば、開拓時代となんら変わりない地域まで、人種・習慣・言語など異なる要素が同居した国、それがアメリカです。
歴史・概略
ヨーロッパ各国の植民地だったアメリカは、1775年にイギリス植民地の13州が本国に対して独立戦争を開始。1783年に独立を達成し、世界初の近代的民主主義国家が誕生しました。1787年9月17日、中央集権的なアメリカ合衆国憲法が制定されています。1861年から1865年にかけて、経済格差のある南北の州が対立して南北戦争が起こっています。それと前後して、19世紀には諸外国との戦争や領土の買収などにより多くの新しい州と海外領土を合衆国に加えました。
第一次世界大戦後、ニューヨーク株式取引所の大暴落により、1929年から1939年までの世界恐慌が起こりました。第二次世界大戦では連合国の一員として参戦し、1945年、広島と長崎に原爆を投下して日本との戦闘を終結させています。
大戦終結後、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営との冷戦が始まり、対抗する資本主義陣営の盟主として朝鮮戦争やベトナム戦争など世界各地の紛争に介入しました。ソ連崩壊後は、唯一の超大国として世界的に優位を保っています。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件は、アフガニスタン侵攻、イラク戦争へとつながりました。
3万年前~植民地化以前のアメリカ
北アメリカ大陸に最初に住んだのは、3万年前から1万年前にかけて、凍結したベーリング海などを渡ってやってきたアジア系のモンゴロイドです。彼らはシベリアからアラスカを経由し、南北アメリカ大陸各地に分散しました。彼らは長を中心とした村を作り、広大な土地で狩猟生活を営んでいました。彼らには統一したアイデンティティはなく、国家の形成にはいたりませんでした。
新大陸発見と植民地化
イタリア人コロンブスはスペイン女王の承諾による航海で、1492年に西インド諸島を発見しました。その後西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓がはじまり、ヴァージニアやカロライナにはイギリス人が、ルイジアナにはフランス人が、ニューヨークやニュージャージーにはオランダ人が、デラウェアにはスウェーデン人が、フロリダにはスペイン人が植民地を築いています。
これらの植民地では砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの農作物を栽培しました。その労働力として、アフリカ大陸から人々を買い取り、南北アメリカ大陸に輸出しています。17世紀から18世紀にかけて、英仏がヨーロッパにおいて戦争をするたびに、それぞれが支配する植民地間でも戦争が起こりました(北米植民地戦争)。この戦争中にイギリスはフランス・スペインの植民地を獲得して北米大陸の大西洋沿岸を掌握、大英帝国の礎を築き上げました。イギリスは先住民インディアンを駆逐して領土を西へ拡大し、13州の植民地を建設しました。
アメリカの独立と建国
18世紀に入ると植民地では醸造、造船、運輸などの産業が発達してイギリス本国の経済を圧迫、イギリスは貿易を制限する法と重税とで植民地に対抗しました。それに反対する住民が1773年にボストン港を襲撃したのが「ボストン茶会事件」です。アメリカ大陸13州の住民代表者は植民地の自治権を求め、フィラデルフィアで史上初めての大陸会議を開きました。1775年4月、イギリスの駐屯兵と植民地の民兵が衝突したレキシントンの戦いからアメリカ独立戦争が始まり、総司令官に任命されたジョージ・ワシントンが1776年7月4日の大陸会議において、アメリカ独立宣言を発表しました。
フランス、スペインはアメリカ合衆国軍を軍事的に支援しました。また、ロシア帝国主導による他のヨーロッパ諸国との武装中立同盟により、イギリスは外交的にも軍事的にも孤立し、劣勢となりました。1783年のパリ条約により、大陸13州は完全に独立し、ミシシッピー川以東の広大なイギリス領ルイジアナ植民地を獲得したのです。
1787年に当時の首都フィラデルフィアで憲法制定会議を開催し、主権在民の共和制、三権(立法・司法・行政)分立、連邦制を基本とするアメリカ合衆国憲法が制定されました。憲法に基づく最初の大統領選挙によって、1789年、ジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に就任しました。
米英戦争とモンロー主義
1803年、アメリカはナポレオンからフランス領ルイジアナを買収。その後、ナポレオン率いるフランスとイギリスの間で戦争が勃発、ヨーロッパへの農産物の輸出が経済の中心だったアメリカは、両国に農産物や原材料輸出を行うことで利益を得ました。
1805年、トラファルガー海戦でフランスが敗れると、イギリスはアメリカの貿易政策に対して海上封鎖で報復。アメリカ議会とジェファーソン大統領は封鎖解除を狙い、1807年に外国との貿易を停止しましたが、かえってアメリカの農産品輸出に大きな打撃を与えることになりました。行き詰まったアメリカは1812年にイギリスに宣戦布告し、米英戦争が勃発。1815年、ガン条約により停戦し、米英の領土は戦前の状態に戻されました。
米英戦争によって経済的・文化的に欧州から孤立したアメリカではナショナリズムが高まり、保護関税を図って自国内の工業を発展させました。また、中南米諸国で独立運動が盛んになった1823年、モンロー大統領は欧州とアメリカ大陸の相互不干渉を唱えるモンロー宣言を発表、この後100年近くもモンロー主義(アメリカ合衆国の孤立主義)が外交方針となりました。
1830年代、ジャクソン大統領の選挙権を拡大に伴い、親ジャクソン派は民主党を、反ジャクソン派はホイッグ党(後の共和党)を結成しました。この時代、アメリカも産業革命を迎え、鉄道や航路が発達し、国内市場が拡大。労働者が大量に暮らす大都市圏が生まれ、企業経営者や出資する資本家が登場し、資本主義社会の時代を迎えました。
領土の拡大とフロンティア
米英戦争後、アメリカは領土拡大を計り、1818年にイギリスと旧仏領ルイジアナの一部と英領カナダの一部を交換、1819年にスペインから南部のフロリダを購入しました。1マイル四方に白人が2人以下という開拓前線が誕生したのはこの時代です。まずオハイオ川流域を中心としたルイジアナ植民地への移住が始まり、次いで1840年ごろから太平洋沿岸のオレゴンを目指すようになりました。
領土膨張主義を主張するポーク大統領は、1845年にメキシコから独立したテキサスを併合、1846年にオレゴンを併合しました。さらに米墨戦争に勝利して、1848年にメキシコ北部ニューメキシコとカリフォルニアを獲得。1848年にこの旧メキシコ領カリフォルニアで金鉱脈が発見され、ゴールド・ラッシュが起こり、フロンティアへの移住はさらに促進されました。
南北戦争
産業革命による工業化が進んだアメリカ北部は、欧州からの輸入品に関税をかける保護貿易を求めました。一方、農業地帯である南部は、綿花を輸出するために保護貿易撤廃を望みました。さらに、綿花栽培は黒人奴隷の労働力によって支えられていましたが、工業化によって労働力不足となった北部では、解放された奴隷を労働者として使用しました。このため、奴隷制を認めるかどうかで南北の州が対立することとなりました。1860年に大統領になった共和党のエイブラハム・リンカーンは黒人奴隷解放を政策とし、北部の資本家に支持されましたが、反発した南部はアメリカ南部連合を結成して離反し、南北戦争が勃発しました。北部は1863年にリンカーンが奴隷解放宣言を発表して以降支持を拡大し、勢力が弱まった南軍は1865年に降伏しました。リンカーンは奴隷制を廃止しましたが、社会的な差別をなくすことはできませんでした。労働力を維持できなくなった南部のプランテーション農家は没落し、小規模な農家が誕生しました。
フロンティア消滅と資本の成長、第一次世界大戦
1869年に最初の鉄道が開通し、以後、西部との物流・交通が活発化して市場が拡大しました。人口の増えた西部では1890年代にフロンティアが消滅。太平洋上の島々へのアメリカ人の移住が進み、1898年にハワイ王国を併合しました。同年、スペイン領キューバの反スペイン暴動をきっかけに米西戦争を起こし、中米の多くの国からスペインを駆逐して経済植民地とし、プエルトリコやフィリピン、グアム島などを領有しました。また、パナマ運河建設権を買収し、パナマに対して運河地帯の永久租借権を獲得しています。
この時代に第二次産業革命が起こり、アメリカの工業力は豊富な石油資源を背景に世界一となりました。エクセル、カーネギー、モルガン、ロックフェラーなど一代で強力な企業連合体や独占体が成長し、アメリカ経済は財閥によって動かされる時代を迎えました。
19世紀後半、人口が急増したヨーロッパから、多くの移民がアメリカへやってきました。移民は未熟練労働者だったため低所得者となり、都市中心部でスラム街を形成しました。新移民と旧移民の間では、宗教の違いなどによる偏見と摩擦が起こり、時には抗争が起こりました。
アメリカは、1899年と1900年に清の門戸開放・機会平等・領土保全の三原則を提唱して中国大陸へ経済進出する一方、1905年に日露戦争の調停役を申し出るなど、国際的な立場向上を目指しました。
1914年に勃発した第一次世界大戦では、欧州各国への武器、車両の輸出で経済が発展しました。戦争末期にはイギリスの要請で参戦し、1918年にドイツ帝国を降伏させました。
経済の好調から世界恐慌へ
第一次大戦後、国家間の争いを防ぐ目的でウッドロウ・ウィルソン大統領が国際連盟を設立、しかし保守的な議会の決議によってアメリカは不参加となり、孤立主義を深めることとなりました。
消耗したヨーロッパに変わって輸出を拡大したアメリカは、史上初の経済の好調を迎え、急速に消費社会に移行しました。大都市では高層ビルが建設され、ラジオ・新聞などのマスメディアの成長で情報化社会への道を歩み始めました。
1920年代前半はソビエト連邦が共産主義革命に成功した影響で労働運動が盛んに行われ、政府はマルキストや共産主義者をソ連へ追放しました。またこの時代、野球スターのベーブ・ルース、大西洋無着陸横断飛行に成功したリンドバーグらが市民を熱狂させ、大資本によるハリウッド映画が製作されました。この時代、市民が株や土地を売買することが流行し、バブル景気を増長させました。
一方、農村部では土地の疲弊と農業政策の失敗から離農者が相次ぎました。また、ユダヤ人やカトリック、黒人に対しての差別感情が生まれ、クー・クラックス・クラン(KKK)などの人種差別団体が出現しました。
ヨーロッパ経済が復興するとアメリカの輸出経済は下りに転じ、1929年10月、株価が大暴落。経済破綻は世界各地に波及しました。アメリカは失業者であふれ、デモや闘争が起こり、革命の声もあがるほどでした。
各国は自国の経済から他国を排斥し、ファシズムへの道を歩み始めました。植民地を持たない国は経済の復興が遅れたため、侵略により領土拡大・植民地獲得を狙うようになりました。この時代、アメリカではフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領がニューディール政策をとり、大規模公共事業などで経済復興を図りましたが、効果は小さいものでした。
第二次世界大戦
1939年9月、アドルフ・ヒトラー率いるドイツがポーランドを侵攻し、第二次世界大戦が勃発。ドイツはイギリスをのぞくヨーロッパ大陸の大部分を、短期間で占領しました。アメリカはイギリスのチャーチルの参戦依頼に難色を示していましたが、1941年12月、日本の真珠湾攻撃を受けるにいたって枢軸国に宣戦布告しました。ルーズベルトはチャーチル、ソ連のヨシフ・スターリン、中国の蒋介石らと、戦後処理についての会談を行いました。1945年5 月にドイツが降伏し、原子爆弾を投下された日本は8月に無条件降伏しました。
冷戦とキューバ危機
戦後、アメリカは国際連合を設立、マーシャルプランによって西ヨーロッパ経済を援助しました。ソ連は東ヨーロッパの周辺弱小国を共産化して、東西対立、つまり冷戦の状態が生まれました。東西両陣営は核兵器、大陸間弾道ミサイル、原子力潜水艦などの兵器をお互いに保有しました。
1962年には共産革命によりキューバは共産化してソ連と親交を深め、アメリカを狙う弾道ミサイルを配備し、いわゆるキューバ危機が起こりました。ソ連との外交戦でこの危機を乗り切ったのは、大統領ジョン・F・ケネディです。ケネディ暗殺後、大統領リンドン・B・ジョンソンは公民権運動の解決を図る社会計画を実行して成果を上げましたが、ベトナム戦争へ介入したために退任に追い込まれました。
政治不信と冷戦の終結
リチャード・ニクソン大統領の時代、アメリカ軍は段階的にベトナムから撤退し、1973年に完全に撤退しました。ニクソンは外交、経済面において新方針を打ち出しましたが、ウォーターゲート事件によって失脚、以後、アメリカは政治不信の時代となりました。1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任して強行的な外交政策をとり、アフガニスタンへ侵攻したソ連との間で緊張が強まりました。レーガンの次の大統領ジョージ・H・W・ブッシュの時代に冷戦の象徴ベルリンの壁が崩壊。1989年ミハイル・ゴルバチョフとのマルタ会談で冷戦の終結が宣言されました。
冷戦後、現在のアメリカ
冷戦後、中東問題が世界の注目を集めました。1991年、イラクのクウェート侵攻に対しアメリカを中心とした多国籍軍が編成され、湾岸戦争が勃発し、クウェートを解放しました。世界の超大国となったアメリカですが、軍事予算が膨張したため経済は低調でした。ビル・クリントン大統領の時代、IT産業を助成するなどの方法によりこの経済不況を払拭、大きな対外軍事行動も起こらず、再びアメリカは好景気時代を迎えます。
こうした中で起こったのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件です。ジョージ・W・ブッシュ大統領はこの事件をきっかけにアフガニスタンへ侵攻、対テロ戦争であるイラク戦争など、保守化政策へと方向転換しました。2004年に大統領に再選したブッシュは、アフガニスタン、イラクに加え、イラン、北朝鮮を「テロ支援国家」「悪の枢軸」と名指ししています。
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アメリカの基本情報 地理
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アメリカの基本情報
United States of America。略称はU.S.またはUSA。北極圏に属するアラスカから常夏のハワイまで、日本の25倍の国土面積を有し293,027,571人(2004年現在)が暮らす広大な国です。50の州からなり、各州ごとに独立した行政を行っています。政治的にも文化的にもアメリカの影響力は大きく、先端技術や学問、音楽や映画、衣食住などあらゆるジャンルで多様な広がりを持っています。世界一の都会ニューヨークもあれば、開拓時代となんら変わりない地域まで、人種・習慣・言語など異なる要素が同居した国、それがアメリカです。
地理
アメリカ合衆国は、北アメリカ大陸の中央部(本土)の48州に、極北の地アラスカ、大西洋上の島ハワイを加えた50州と、ワシントンD.C.(コロンビア特別区)で構成されています。アメリカ本土は、北側はカナダとの国境、西に太平洋、南はメキシコとの国境とメキシコ湾、東は大西洋になっています。
本土には南北に走る2本の山脈があり、東にアパラチア山脈、西にロッキー山脈があります。アパラチア山脈の東にはニューヨーク、ワシントン D.C.、ボストン、ロッキー山脈の西にはロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどの大きな都市があります。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は、農業や牧畜が盛んな大平原です。
最高点 マッキンリー山(アラスカ):6,194m
最低点 デスバレー:海面下86m
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